植木業を学ぶ。 その3 〜オールドルーキー〜

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    「よき人は常に初心者である。」

    マルティアリス

     

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     あれは縦挽きを教わった頃です。短い木を挽けといわれたんで、安定が悪いから動かないようにカスガイを打ち込んだんですよ。気を回したつもりだったんですが、宝石の原石のような銘木ですから、それだけでもうパーです。
     もっとも、昔は今ほどは木が高くなかったし、もし小僧が失敗しても、それほど損害のない作業がいくらでもあった。お施主さんも笑って許したもんです。教育費のつもりでね。
     ところが今は、仮に弟子修業の子が入ったとしても、扱う木がみんな高価すぎて任せられない。つまり弟子を鍛えるだけの舞台がない。京都の数寄屋大工さんなんかも、同じことをいってますねえ。

    林 以一・著『木を読む 最後の江戸木挽き職人』

     

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     鮫川農場大改造計画から、仲田種苗園社員育成計画に切り替わり

    シダレザクラ、イロハモミジの移植のための堀り取り、剪定、建て込みをおこないました。

     

     

     

     『木を読む』の著者の林以一さんがおっしゃっていたように、人の心の懐が暖かかった時代。

     前職の林業でも、ある程度の失敗は許されていたし、親方でもある恩師が失敗の責任はとってくれました。

     

     

     

     仲田種苗園の社員育成計画では、今まで学んできたものをやってよろしいとのことで、必要な箇所は社長の指示の元で進めて参りました。

     

     

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    モノクロの写真は白川書院・出版

    『「植治の庭」を歩いてみませんか』の中の写真から。

     

     

     

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      昭和27〜28年頃は、とりあえずひと山買っておけ、なんていう景気のいい人もいましたっけ。
      それだけに、木挽きもお施主さんも怖がらずに思い通りの木取りができたんですね。
      原価が安かったから失敗にも甘かった。「そうか、たいした杢は出なかったか。それなら一般の造作材に回せばいいや」っていうようなもんで。そうやって数をこなすうちに目も自然と肥えてきたものです。
     ただ、今考えると、昔の銘木屋さんはそれだけじゃなかった。とにかく木に対して熱心でした。

    林 以一・著『木を読む 最後の江戸木挽き職人』

     

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    動いている圃場

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       仲田種苗園に就業し、おかげさまで一年になりました。

       

       

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      その中で私達は林業にどのような意義を見い出し、

      どのように生きて行くべきか、生きていけるか、

      平成の若者が否応なしに答えを出してくれるに違いない。

      私は命のある限り、山に木を植えて行く決心である。

      かの内村鑑三は「植林は王者の仕事」と言ったという。

      この言葉を心の片隅に置きながら、生ある限り木を植える事が、

      昭和の世代に無事に生き抜く幸運を持った者の心意気である。

       

      速水勉・著『美しい森をつくる 速水林業の技術・経営・思想』

       

       

       

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       遙か昔、新聞配達や、警備員や、引っ越し業や、左官や、大工とか、土方とか、宅配便とか、コンビニとかの仕事で得た資金で、車のマニュアル免許を取得し車を購入した頃、ハローワークで「これだ」と思って林業に就業できて、初めて伐採を教わった時、恩師に「お前よりも長く生きている命を伐って殺すのだから真剣になりなさい」と言われた山仕事を20年ぐらい続けてきましたが、今こうして、ご縁があり仲田種苗園で働くことができ、就業初日に農場長に『何で林業から、この職業に来たの?』と聞かれ、即席で浮かび上がった答えは、

       

       

      「今まで(この先の事実は言わなかったけれど、植えた木(ほとんどがスギ)以上に、木を伐ること(ほとんどがスギとヒノキ、時々マツと雑木類(きっとアオダモもバンバン伐り殺し、根っこから、ほじくり返していたはず)が収入になる事に気付いて、いつしか植林も面倒になり、何だか初心を忘れたかのように、怪我なく事故なく、伐れば伐るほど信じられないぐらいの(でも、すぐに消えてなくなった)お金が舞い込んできて、それなりに楽しい思いもいっぱいしたんですけれど、やっぱり無闇矢鱈と)木を伐りすぎたので、その罪滅ぼしです♡」

       

      と、間に合わせ的な受け答え感満載、そして、すぐに見透かされるような善人ぶり全開にした答えをしたのにも関わらず、「生きているものを生かし続ける仕事だからね」と、怪しむことなく真面目に答えられた言葉の意味が、今、なんとなく分かってきた感じです。

       

       

      「ブナの森」

      G・クリムト

       

       

      鮫川農場大改造計画

       

       

       7月から、意気揚々と『鮫川農場大改造計画』と勝手に銘打って、社長の指示の下と、僕の好みで鮫川農場の造成をしておりました。

       

      施工前の写真です。管理が行き届いていなくとも美しいと感じました。

       

       

      ————  荒れ地という語はほとんどの場合、耕されなくなった土地や、耕されなくなるだろう土地に適用される。この言葉は、野生の丘陵地であれ、高山の切り立った草原であれ、エリンギウムでいっぱいの砂丘の後背地であれ、「自然」と名のつく他のどんな環境を指すためにも使われることはない。そうではなくて、荒れ地はそこから自然も農業も締め出してしまって、ここでもっと良いものをつくれると仄めかしているのだ。

      ひょっとして、そこに庭をつくることができるのではないだろうか?

       

       

      ・・・・・緩やかだけれど力強い起伏、ブナと針葉樹からなるバランスのとれた植被——それらのなかにはパン焼きのマツも姿を見せている——、そして牧草地や、ところどころにある耕作地。無骨でしっかりとした小さな教会の周囲にしかるべく寄り集まった村落。防衛のために要塞化した家々は狭い通路に「したがって」配され、灰白色と青色の空は、生き生きとしたほの明るい光を投げかけて遠景に果てしない奥行きを与えている。———— 

       

      ジル・クレマン 著『動いている庭』

       

       

       

       

       先代たちが築き上げた鮫川農場。

       

       

       

       仲田種苗園に入社して間もなく、鮫川農場に来た時に、直感的に、ここは手入れをすれば絶対に良くなると思いました。ただし僕の中では、植木業の目線ではなく、森林セラピー的な目線で、そう感じました。

       

       

       

       7月から始まった大改造計画は、とりあえず終わり。

       

       来年に、また作業を継続し、鮫川農場の全部というか細部を、自信をもって、お客様に、お見せできるような場所になるには、その次の年以降になるでしょう。

       

       

       ペシャワール会の中村哲さんも、おっしゃっていたように「水路が通って水が来て、まずやって来るのが牛と子ども、そしてトンボ(トンボはなぜか水の匂いが分かる)」がやってきた、というように、ここの土地の手入れをしたら、たくさんの生き物が訪れてきました。

       

       

       

       

       そもそも、今回の手入れ前は、敷地がどこまでなのかも分からないぐらいになっていて、何気なく触れた木に、とてつもなく巨大なナメクジが、へばりついていたりで絶叫しまくりだったけれど、この度、風通しが良くなり見かけなくなりました。

       

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      「言え、どうしたらスズメを追い払えるかを」と園丁が言った。

       

      「それに、毛虫や、さらにカブト虫の輩や、

      モグラや、ノミトビヨロイ虫や、

      黄バチや、ウジ虫や、

      これら悪魔の子を?」

       

      「そのままにしておけ。そうすれば、たがいに食いつくし合う。」

       

      J.W.v.ゲーテ 『パキスの予言』

       

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       荒れ地には、ときおり明るい場所が見つかる。それはよく手入れされた庭の芝地の明るい場所に相当する。それにもかかわらず、これらの空間はいかなる機械によっても管理されてはいない。これらの空間は、そこで樹木が生長できないから生まれたのだろうか? あるいはまた、それは一時的な虚にすぎず、極相に向かう遷移がまもなく満たしていくのだろうか?

      ジル・クレマン 著『動いている庭』

       

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      植物を透過するやわらかな光

       

       

       

      隈研吾建築都市設計事務所・著『Studies in Organic Kengo Kuma & Associates』

       

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      巨樹考

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        同じ木を見ても、愚かな者と賢い者には異なるものが見えている。

         

        ウィリアム・ブレイク

         

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         郡山市湖南町の樹齢350年以上のカツラです。

         

         樵が伐ろうにも伐れず今に残りました。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         天栄村の樹齢1000年?(調査中)のミズナラです。

         

         大きすぎて、樵が伐ることが出来ずに残ったそうです。

         

         

         

         前職が林業だったこともあり、樹木を見ると伐採後の木材の用途として木を見てしまう癖がついているので、どうしても以前の仕事目線でした。

         

         「こんな、ちっこい木の、どこが良いのかわかりません ! と現場で言ったりほんのちょっと大きな木だとしても「材としての用途は果たせないと、心の中で思った木である木が、庭木として必要とされる。

         

         

         仲田種苗園に就業してから、おかげさまで、そんなこんなで半年の月日が経ちました。

         

         

         

        『見出しぬ / Gefunden』 ゲーテ

         

        もの思いもなく、ただひとり

        そぞろ森の中を行きぬ。

        何を求めん

        こころもなく。

         

        木かげに、花ひともと

        星のごとかがやきつ、

        つぶらなる眼のごと美わしく

         

        咲けるをわれ見たり。

         

        手折らんとすれば、

        花はやさしく言いぬ、

        「手折られて

        しおるるさだめなるか」

         

        小さき根もとより

        掘り起して、

        よき家のうしろなる

        庭に、はこび来たり、

         

        もの静かなるところに

        ふたたび植えたれば、

        いやましに伸びひろごりて、

        今に咲きつづく。

         

         

         

         

         


        植木業を学ぶ。その2

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          写真は明治神宫 造成工事 施工中

           

          ——— 万葉の時代、神社はモリであった。社と杜は同義語で、樹木や森そのものがご神体でもあった。時代は下っても、境内林は単なる神社の付属物ではない。そうかといって、公園でもない。庭園でもない。林業地でもない。神社らしい風格の表現が求められた。

           神宮の森づくりには、二つの系統の技術者が携わった。林学では、東京・日比谷公園を設計した東京帝国大学教授の本多静六、本多とともにドイツへ留学してドクトルの称号を得た本郷高、技師として上原敬二(後に東京農業大学教授)、農学・造園では、東京帝国大学教授の原凞、奈良女子高等師範教授の折下吉延らである。

           構成メンバーから考えて、洋風のにおいのもつ景観がつくられても不思議はなかった。しかし、じっさいに打ち出された森の姿は、ありふれたものだった。———

          井原俊一・著『日本の美林』

           

           明治神宫 境内林について。

           

           林業を仕事にしていた時から、明治神宫境内林は、人工的な自然林で、そして最終的には極相林をむかえるよう想定した、設計と樹木の植栽はすばらしいと思っていました。

           当時は林学博士としての本多静六さんは知ってはいましたが、植木業に携わることができ、改めて本多静六さんの仕事を学び直しています。

           

           鶴ヶ城公園の設計もしていたようで、暖かくなったら行ってみたいと思います。

           本多静六さんを調べると「首賭けイチョウ」なんていうのもありました。

           

           

           本多さんも木に魅せられたのでしょうか。

           

           急に、村上龍さんの文章を思い出しました。

           

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          偏愛は、強烈な好き嫌いが伴っている。世界中の誰もが嫌悪しても、自分はこの作品にシンパシーを覚える、それが偏愛だ。

           

          ——— 

          村上龍・著『すべての男は消耗品である。最終巻』

           

           

           

           イヌシデの堀取り作業。

           先日はイヌシデの堀取りがありました。

           

           林業をしていた頃は、必ずといっていいぐらい、どこにでもあった、ありふれた木でした。(持て余した、といってもいいぐらいです)

           伐採しても、パルプ材やバイオマスの燃料にするしかない木でした。

           

           伐採する山に入ると、だいたい大径木になっていて、チェーンソーで刃物を入れるにしても、幹は硬く、私には、ただ厄介な木としての印象しかない木です。

           

           その中で、この木の良いところを探せば、縞模様の樹皮は特徴があって、新緑(新葉)と紅葉はきれいだな、ぐらいでした。

           

           この度、技術主任との作業のもと、無事に堀取りが終わりました。

           

           今週、納品いたします。

           

           


          植木業を学ぶ。

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            荘川桜の移植工事について。

             

            稲本正さんの『木の聲』から引用します。

             

            ———— この巨大なロックフィルダム・御母衣ダムをつくったのは電源開発株式会社で、その初代総裁は通産大臣も経験した高碕達之助だった。実のところ、この巨大なダム建設には七年半にわたる長い反対運動があった。自分の住んでいる所がダム建設で水の下に沈むとなれば、補償の良し悪しを超えて反対したくなるのが人情だ。高碕達之助は電源開発総裁には珍しく、自宅に植物研究室までもつ自然愛好家だったが、住民との交渉がやっと成立した直後、中野地区にある二本の桜を、私費を投じて移植することを決意する。住民の気持ちを、少しでも和らげようとしてのことだった。だが、どの大学の学者も引き受けてくれない、そこで当時、民間の桜の研究家として名高かった神戸市の笹部新太郎に頼みに行く。笹部新太郎は「大阪造幣局通り抜け桜」の管理育成などの実績のある人だった。東大法学部を出ながら法律とは縁を切り、ひたすら桜に人生をかけた筋金入りの桜博士だ。・・・・・・世の植物学者は、こぞってこの移植は失敗すると明言し、実際、工事が始まってみると思いのほか大変だった。二十数トンと予想されていた桜ははるかに重く、照蓮寺の桜が三十八トン、光輪寺の桜は四十二トンもある。この前代未聞の大移植工事は困難を極めた。————

            稲本正・著『木の聲』

             

             

             入社してすぐに12mのイロハモミジの堀取りをしました。

             

             長い年月、木を伐っていたので「木を掘り起こして移植する」というのが理解できませんでした。

             理解できないというか、それ程までに「この木が必要なのか」と思いました。

             

             傷つけずに折れないように、寝かせて、葉を取り除いて、トラックに乗り輸送できるように、時間をかけて樹形を小さくしていく…。

             人足と時間のかかる作業でした。

             

             先に引用した本の中身は、身をもって体験してみないと分からない内容でした。

             

             林業でも、先人の知恵が沢山あり教わってきましたが、この仕事でも、沢山の技術、勘と経験が必要だと思い知りました。

              

             生きている間、技術が身につくかどうか分かりませんが、少しずつ吸収していきたいと思います。

             

             

             

            荘川桜


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