南湖公園から考える。

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    進士五十八さんの『日本の庭園 造景の技とこころ』から引用します。

     

    ――― 松平定信は土手を大改修し、マツを植え、湿地を浚渫し、水を満々と湛える湖面をつくった。湖は、西方遠くの那須の連山、東南近くの関山を借景とし、鏡の山、月待山、子鹿山の丘陵に囲まれて、まさに背山臨水の安定した境地となっている。これらの丘陵の麓にはアカマツ、クロマツを植え、吉野のサクラ、嵐山のモミジを取り寄せ、またスズムシ、マツムシを放したという。

                       ・・・・・・・・・

     南湖造成にあたって定信は、藩内から求職者を募り、彼らの家計を救済することも狙い、荒地を開墾して、広さ五万坪の湖と水田を開いたのである。藩校の立教館は、この新田の収入によって経営されたので「学田新田」と呼ばれた。

                       ・・・・・・・・・

     このように南湖は、農業用水の貯水池であり、その造成人足には失業者をあて、得られた新田からの収入は学校経営にあてる。また浚渫土は土手ばかりか、島としての景観をつくり、修景樹木の植栽によって慰楽地にふさわしい景色をつくりだしたのである。――― 

                       進士五十八・著『日本の庭園 造景の技とこころ』

     

    四民享楽、士農工商。

    とても身近な場所に、素晴らしい庭園があることを教わりました。

     

    弊社の経営理念の『幸せ感じるまちづくり』の礎が享和元年(1801年)に完成されていました。

     

    今までは見向きもせず通り過ぎていただけでしたが、この仕事に就いてから見る景色がかわりました。

      

     

     

    少し、西へ足を運びます。

     

    西郷村には樹齢320年以上の剣桂(ケンカツラ)という木があります。

      

    松平定信が鬼を、ここで封じ込めたという木です。

    「鬼」ではなく、ただ土着の民であって「鬼」の征伐という大義名分とも言える思い込みは、鬼さんに、きちんとコミットメント(たぶん鬼さんには、その時代の常識や当然の如く金銭の概念はないと思います)せず、今も変わらない我々の偏り行きすぎた感じが、ここに顕れている気がします。

     

    アシリ レラさんが、かつて、ここで慰霊しました。

    節分が近いです。

     

    奈良県吉野郡天川村の天河神社の節分祭では「鬼は内」「福は内」と唱えながら豆を撒きます。

     

    ケンカツラの周りにはヤドリギが植生しています。

     

    ヨーロッパでは神聖視されていて、ヤドリギが寄生している、この木の下でプロポーズをすると叶うそうです。


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