植木業を学ぶ。その2

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    写真は明治神宫 造成工事 施工中

     

    ——— 万葉の時代、神社はモリであった。社と杜は同義語で、樹木や森そのものがご神体でもあった。時代は下っても、境内林は単なる神社の付属物ではない。そうかといって、公園でもない。庭園でもない。林業地でもない。神社らしい風格の表現が求められた。

     神宮の森づくりには、二つの系統の技術者が携わった。林学では、東京・日比谷公園を設計した東京帝国大学教授の本多静六、本多とともにドイツへ留学してドクトルの称号を得た本郷高、技師として上原敬二(後に東京農業大学教授)、農学・造園では、東京帝国大学教授の原凞、奈良女子高等師範教授の折下吉延らである。

     構成メンバーから考えて、洋風のにおいのもつ景観がつくられても不思議はなかった。しかし、じっさいに打ち出された森の姿は、ありふれたものだった。———

    井原俊一・著『日本の美林』

     

     明治神宫 境内林について。

     

     林業を仕事にしていた時から、明治神宫境内林は、人工的な自然林で、そして最終的には極相林をむかえるよう想定した、設計と樹木の植栽はすばらしいと思っていました。

     当時は林学博士としての本多静六さんは知ってはいましたが、植木業に携わることができ、改めて本多静六さんの仕事を学び直しています。

     

     鶴ヶ城公園の設計もしていたようで、暖かくなったら行ってみたいと思います。

     本多静六さんを調べると「首賭けイチョウ」なんていうのもありました。

     

     

     本多さんも木に魅せられたのでしょうか。

     

     急に、村上龍さんの文章を思い出しました。

     

    ——— 

     

    偏愛は、強烈な好き嫌いが伴っている。世界中の誰もが嫌悪しても、自分はこの作品にシンパシーを覚える、それが偏愛だ。

     

    ——— 

    村上龍・著『すべての男は消耗品である。最終巻』

     

     

     

     イヌシデの堀取り作業。

     先日はイヌシデの堀取りがありました。

     

     林業をしていた頃は、必ずといっていいぐらい、どこにでもあった、ありふれた木でした。(持て余した、といってもいいぐらいです)

     伐採しても、パルプ材やバイオマスの燃料にするしかない木でした。

     

     伐採する山に入ると、だいたい大径木になっていて、チェーンソーで刃物を入れるにしても、幹は硬く、私には、ただ厄介な木としての印象しかない木です。

     

     その中で、この木の良いところを探せば、縞模様の樹皮は特徴があって、新緑(新葉)と紅葉はきれいだな、ぐらいでした。

     

     この度、技術主任との作業のもと、無事に堀取りが終わりました。

     

     今週、納品いたします。

     

     


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