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     森林社会にとっては、どの木も例外なく貴重な存在で、死んでもらっては困る。だからこそ、病気で弱っている仲間に栄養を分け、その回復をサポートする。数年後には立場が逆転し、かつては健康だった木がほかの木の手助けを必要としているかもしれない。互いに助け合う大きなブナの木などを見ていると、私はゾウの群れを思い出す。ゾウの群れも互いに助け合い、病気になったり弱ったりしたメンバーの面倒を見ることが知られている。ゾウは、死んだ仲間を置き去りにすることさえためらうという。

     

    ペーター・ヴォールレーベン・著『樹木たちの知られざる生活 森林管理官が聴いた森の声』

     

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    西会津のブナの森

     

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     しかし、二番目のほうのカエデは、母なる大地から幸運を授けられています。こちらの場合は、一本のドイツトウヒがカエデの下側で育っており、崖っぷちのマイナス面の力を全部背負ってくれているのです。カエデの木はそのドイツトウヒのおかげで、地面とバランスのとれた緊張のないかかわり方でつながっています。そしてそれに見合った落ちつきと調和がその幹全体に染みわたり、樹冠にまで吸い上げられているのです。

     

    エルヴィン・トーマ・著『木とつきあう知恵』

     

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    鮫川農場のドイツトウヒとモミジ

     

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     この感覚は木と森の関係をみるとよくわかる。木はその一本一本が個体性をもった生命である。だから木の誕生もあるし、木の死もある。しかしその木は、もう一方において、森という全体の生命のなかの木なのである。しかも森の木は、周囲の木を切られて一本にされてしまうと、多くの場合は個体的生命を維持することもむずかしくなるし、たとえ維持できたとしても木のかたちが変わってしまうほどに、大きな苦労を強いられる。

     森という全体的な生命世界と一体になっていてこそ、一本一本の木という個体的生命も存在できるのである。

     この関係は他の虫や動物たちにおいても同じである。森があり、草原があり、川があるからこそ個体の生命も生きていけるように、生命的世界の一体性と個体性は矛盾なく同一化される。

     

    内山節・著『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』

     

    山で、ほんの少しだけ懐いたキツネ

     

     

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    秋の矢吹農場

     

     

     写真は野の花マットの草の根。

     

     この根が、かつてあった、ありふれた里山の風景を取り戻して、この国土の植生を復元していきます。

     

     

     そのための力が、もうちょっと、ほんの少しだけ必要です

     


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